ソンギョンさんは2000年にセントビル高校を卒業し、
ニュージャージー州の名門プリンストン大学で経済学を学んだ。
2004年に卒業してからは実家のあるセントビルで両親と生活しながら職場に通っている。
事件直後、
米国のマスコミはソンギョンさんが国務省の極東問題担当局の支援員として働いていると何度も報じた。
しかし後になって彼女はイラク支援事業で国務省の仕事を請け負う企業に勤務していることが明らかになった。
これについて国務省のマコーミック報道官も「ソンギョンさんは国務省が直接採用した職員ではない」と明らかにした。
ソンギョンさんが通う会社はバージニア州スプリングフィールドに本社があり、情報の管理や分析、
言語支援、プログラム支援などのサービスを行っており、
国務省、エネルギー省など政府省庁の仕事を主に請け負っている。
ソンギョンさんの同僚は「事件の衝撃で無期限の休暇中だと聞いている」と語った。
ソンギョンさんは大学時代、
海外インターンシップに参加した時の経験を校内新聞に掲載したことがある。
同紙は2003年11月24日付けの記事でソンギョンさんら5人の学生の海外でのインターン生活を紹介している。
ソンギョンさんは3年生を終えた年の夏休みにバンコクの米国大使館経済部で無償のインターン生として仕事をしながらタイの劣悪な労働現場を見て回った経験を紹介した。
同紙とのインタビューでは「タイとミャンマーの国境地帯にある工場ではミャンマー出身の少女たちが小さな手で服や陶磁器を作る様子に衝撃を受けた」
「卒業論文のテーマもこれに関連した内容に変更した」と語った。
タイでのインターン経験については「人生で最も驚異の時間だった」と語っている。
その後、ソンギョンさんは2001年9月11日のテロ事件で衝撃を受けた若者の治療を助けるために発足した「プリンストン機構」のメンバーとなり、
ボランティア活動も行った。
こうして名門大学を卒業し、
いい職場に就職した彼女のアメリカンドリームは今回の事件を機にどう変わってしまうのだろうか。
李智恵(イ・ジヘ)記者